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鈍穴こと勝元宗益の石組意匠
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■東近江市五個荘地区/花文造園,東近江市文化財課
近江商人屋敷である旧中江家住宅を「金堂まちなみ保存交流館」として保存再生する事業が進められていた。鈍穴直伝の意匠による当庭園の再生に資する知見を得るために,鈍穴の遺した作庭書の解読をはじめとする調査の依頼を受けた。
鈍穴こと勝元宗益(1810-89年)は,近江地方の作庭家として江戸末期から明治初期にかけて活躍した。芸術的センスに恵まれ,茶道,俳句,和歌,狂歌,華道,礼法,南画,医術にも通じたという。近江地方を中心に全国で500 余もの作庭をしたといわれるが,その根拠は不明であり,鈍穴作として現存する庭園は滋賀県下で10 例ほどである。晩年は五個荘町金堂(現在の滋賀県東近江市)に定住し,地元の弟子達に伝授すべく作庭書を遺した※。
※参照 村岡正(1985年):鈍穴について:庭 滋賀の美:京都新聞社:pp.169-171
・3巻の作庭書『庭造図絵秘伝』『茶室囲庭造秘伝記』『神道庭造ならびに席囲寸法録』の記述内容の調査整理を行い,鈍穴の作庭論の全容を把握した。
・絵図で表現された意匠の分析,現存作品の形態の分析を行い,双方の照合による解釈の深化を行った。
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駒井克哉,村上修一(2009)『庭造図絵秘伝』等3著作にみられる鈍穴の作庭論について:ランドスケープ研究72(5):952-955
堤雄一郎,村上修一(2010)『庭造図絵秘伝』及び実作にみる鈍穴こと勝元宗益(1810〜1889年)の石組意匠:ランドスケープ研究73(5):839-848